砂金に魅せられて!金狼の日々

砂金掘りを中心に、日常の記録です。

黄金神社のいわれ

2016年 10月11日(火)

今日はインフルエンザの予防接種を受けて来ました
もうそういう時期になったのだねぇ~。

昨日は高山に行きました
帰宅後にお土産のわらび餅を食べました。
美味しいです。

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季節限定の商品は売り切れていました
今は飛騨りんごなのだそうです。
早めに買った方がいい様ですね。

さて、私の希望で以前から寄ってみたい所に向かいました
タイトルから察する通り、黄金神社に行きました。
” おうごんじんじゃ ” と呼びます。
大きな神社じゃなくて、飛騨護国神社の中にありました。

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黄金神社について巫女さん尋ねると、教えて頂きました
おーここか?と思ったら、中に祀られている左側の祠(ほこら)だそうです。

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黄金神社のいわれを書いた紙を頂きました

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そのまま引用しますね

名古屋城築城の時、黄金のしゃちほこ献納を命じられた加賀の前田家と
飛騨の金森家は金策に苦労した。高原郷(神岡)に金脈があるのを知った
茂住宗貞は、長近公に進言して鉱山を開く。大量の金銀を産出し、金森家の
財政を支えた。

五代領主頼業(よりなり)公の時、金山奉行であった宮島平左衛門は鉱山の
採掘にすぐれ、金森家の財政を大いに支えるが、同僚の讒訴(ざんそ)により
処刑された。宮島亡き後城中に怪異がおき、鉱業も衰退していった。その
冤魂(えんこん)鎮めるため高山城内に祠を設けて祭りを行うこととなった。

金森家転封の後、この祠は「平野明神」として高山の商人によって守られて
いたが、明和年間に社殿を改め、鉱山開拓の始祖として茂住宗貞命を
合祀し「金の神」と呼ばれた。

文政2年5月5日に三之丸に移され、祭りが執り行われた。
明治の神仏分離のため主祭神金山比古・金山毘売の二神を祀り、
社名を「黄金神社」とした。初め茂住・宮島の二神は隠されたが、後に
「配神」とされた。山号の「金守山」は「金森さん」のしゃれ。

昭和28年、GHQの撤退により自由な神社活動が可能となり、第1回
こがね講を開催。商人の正月行事「蔵開き」にちなんで1月11日が
こがね講の日と定められた。
  
              《 金守山 黄金神社のいわれ ・ 飛騨護国神社 》

名古屋のしゃちほこは慶長小判から出来た様な気がするが・・・
金森や前田家が関わっていたのだろうか?
まー、いわれだからねぇ~。

御朱印を頂いている間、ふと目が留まりました
何だろう?

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流石に2万円は無理です!
800円の財布守を購入しました。

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私の財布に諭吉が増えます様に・・・。