2016年 9月24日(土)
台風の後も、雨が続く・・・。
週間天気予報では晴れだったのに雨に変わりました。
予報が外れて雨が晴れになった時は文句を言う人は余りいませんが、
晴れ予報がハズレて雨になるとみんなブーブー言いますね。
最近は雨が多く渇水だった川は増水です。
「 砂金は動くかな? 」
ダムの水もいっぱいになりました。
週末の砂金掘りはお休みですね。
仕方なく、砂金の整理をしてたら眠くなってしまいました。
気温も下がり、だいぶ秋めいて来ていますね。
食欲の秋到来!
旧盆の頃から出始める梨。
中でも”幸水”という梨が大好きです。
この頃に楽しみなのはチューハイです。
普段はビール党のですが、近年はお気に入りで飲んでます。
アサヒからも梨のチューハイが出ていました。(右上)
ただ、幸水とは表記されてませんねぇ~。
幸水という品種は
1959年(昭和34年)に菊水と早生幸蔵の交配で生まれました。
幸蔵の”幸”と菊水の”水”を取って”幸水”と名付けられました。
さて、前置きが長くなってしまいました。
今日は砂白金のお話です。
≪ 郡(こおり)の沢の埋蔵白金 ≫
頓別川の本流を挟んで、松音知の対岸に郡の沢という小流があります。
砂金騒動が頓別川上流に飛火した頃、 兵知安川流域が砂金の優良鉱区でしたが、
どちらかというと本流筋は白金をよく出しました。
中でもよく産出したのは、 知駒内川と稚宇遠内川やポンピラナイ川だったようです。
その頃、郡の沢で、ある夫婦者が採金していたそうです。
当時は金が取引の主な産物で、
白金の方は余り人気もなく、値もよくありませんでした。
夫婦はせっかく採取した白金を、捨値で売るのが惜しくなり、
これをビール壜につめて保存しました。
この当時、この辺の採金者は景気がよく、
ビールを沢山飲んだ証拠があるそうです。
さて、この夫婦が死ぬ前か、どこかに去った時でしょうか、 そのビール壜を地下に埋めました。
重いので、荷物になったからかも知れません。
やがて、その後何年か経ち、大東亜戦争が始まり、貴重な白金資源を求めて、 海軍がその噂をきいてここに探しにきました。
しかし、とうとう判りませんでした。 その後も金の亡者たちが探していますが、今だに行方が判らないそうです。 昔から埋蔵金の話は、いつの時代にも絶えません。
日露戦争の時日本軍の手から逃れるため、
所有していた金を大泊付近の地中に埋めたという話があり、
随分と多くの人が掘ってみました。
しかし、ある閑な人が、ノーウィック号が本国を出る時持っていた軍資金から、 途中のシンガポールなどで物資を調達した金を差し引くと、
残金はいくらも無かったという事です。
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≪ 枝幸郡の伝説と昔話 より ≫
ビール瓶に入った砂金の話も北海道にはありましたね。
そちらも見つかってない様ですが・・・。
もし、見つけた人がいても見つけましたと申し出る可能性は低い様な・・・。
ところで、砂白金も探知機に反応するのだろうか?
一度行ってみたいねぇ~。