砂金に魅せられて!金狼の日々

砂金掘りを中心に、日常の記録です。

『 生野銀山と銀の馬車道 』

2015年 6月21日(日)

「 あれ?今日の天気は晴れ? 」 
東の空が明るくて目が覚めました。 
「 砂金掘り行けたかなあ~。 」

少し後悔して朝ご飯を食べていたら、強い雨足で雨が降り出しました
天気予報通りでしたね。 
今日は大人しくしていよう・・・
週間予報じゃ次の週末も雨なのです。

久々に読書タイムです
題名から生野銀山に関する本だと思い、少し前に中古品を購入しました。

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生野銀山史跡があり、是非訪れて坑道をみてみたいと思っていました
中々関西方面に行く機会に恵まれず実現していません。

※ 史跡 生野銀山 ↓

本は2011年(平成23年)5月20日初版第1刷発行とありました。
著者は兵庫県生まれの方です。

生野銀山は元々、山名氏が所有していましたが
戦国覇者の織田・豊臣・徳川と時代と共に移って行きました。

難波戦記によると、生野銀山の役人と坑夫が大阪冬の陣で地下道を掘り、
徳川軍を勝利に導き、徳川家康氏に功績を賞賛されています

以前に読んだ 『 生野銀山町物語 』 の記憶もだいぶ薄れて本を探しました。
やはりこちらにもありましたね。
馬車道には最新の舗装技術が導入されていました

「 あれ?マカダム式 」
こちらにはアクアダム式道路となっていますが・・・。
ロードローラーが使わています
引いたのは馬か人なんでしょうね。

太政類典(だじょうるいてん)にはアクアダム式道路と書かれている様です
もしかしたら、今の道路工事構造と一緒なのかな?

※ 太政類典の構成 ↓

話を銀山に戻しますね
掘られた坑道はいくつもあった様です。

新しく鉱脈が発見されると、記念品が配らていた様です
景気が良かったのですね。

銀山は息が長く、1973年(昭和48年)に閉山しています
近代の繁栄は外国からの技術がもたらしたものだと思いました。

史跡では近代の坑道も見る事が出来る様なので、益々見たくなりました
いつ行こう?