砂金に魅せられて!金狼の日々

砂金掘りを中心に、日常の記録です。

『 津具村誌 』

2014年 5月1日(木)
 
「 昨日の大雨で川は増水しているよなあ~。 」 
そう思い今日は映画を見に行きました。
 
※ 映画 『 名探偵コナン 異次元の狙撃手 』 NEW ↓
 
あの声は・・・
 
「 ん~!次が楽しみです。 」
 
「 おぉー!ナゾトキラリー? コナンからの挑戦状? 」 

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答えは完璧です
抽選で300名ですか・・・。
当たらないと思いますが送ってみよう!
 
さて、今日はこの前に見つけた本です
以前見た本と一緒だと最初は思ったのですが違う様ですね。
 
タマリブチ?溜まり淵?
砂金が溜まる淵という事じゃないですよね・・・
つい連想して飛躍してしまいました。
 
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本は2000年3月31日発行とあります。
発行元は自治です。
 
この本によれば
信玄坑の開発は元亀年中(1570年~1572年)になっています
 
渡辺家には金掘り関連の文書が2通あるそうです
1通は織田信長氏の朱印状であります
私は以前に読んだ本で知りました。
 
『 信玄金鑿事 早可被還住不可有非分課役等
  並誰々雖為知行分山河金可鑿中可令存知者也 天正十年三月日 』
 
残念ながら、私には読めません
訳文があると嬉しいですwww
 
この時代には織田領にだった事は分かります
和暦では余りピンと来ませんね。
天正10年は1582年になります。
武田氏の金山としては10~12年間位だったのでしょうか?
 
そして、もう1通は・・・。
 
『 一分国中山金河金柴原諸役免許事
  一分国中在留之所諸役免許事
  但金掘之外除之事一譜代之者何方雖在之如前々相返事
  右領状不可有相速之状如件 天正十五年六月二十五日 金掘六十人中 』
 
徳川家康氏が金掘り60人に宛てた書状だそうです
内容など詳しく調べてみたいです。
暇な時に・・・。
 
目次を見ると、金山のページがありました
 
第二次世界大戦の頃には 『 津具金山前 』 というバス停がありました。
金山の坑道は何本かあったらしいです
本の図に第七坑道の文字が見えました。
 
更に気になる記述が・・・
 
1936年(昭和11年)に生野鉱山の関係者一行が来村して
3つの旧坑道を視察した事が記されています
坑道はもう埋まっちゃっているのかな?
 
金山は1932年(昭和7年)から探索・試掘が始められました。
1934年(昭和9年)に津具金山(株)を設立しました
 
鉱区は93万5500坪を登録して
従業員は鉱夫を含め約200人でした。
 
1940年(昭和15年)までの産金量は5トン以上で
鉱石の品位は1トンあたり平均20グラムであった様ですね
最盛期の坑道の本数は30有余りと記されています。
 
鉱石の販路先は日本鉱業(株)日立製作所だそうです
鉄道を経由して、茨城県の助川駅まで直送されたのですね。
 
金山は昭和32年に閉山しましたが、
埋蔵量が枯渇した訳ではない様ですw
採算がとれずに経営難で閉山したとの事でした。
 
私的には昭和13年の増資・増員で、
採掘面積をを拡大した事が経営を圧迫したのはないのか?と想像しました。
詳しい記述がありませんので、あくまでも個人的見解に過ぎません
 
それにしても、楽しめた1冊でした