砂金に魅せられて!金狼の日々

砂金掘りを中心に、日常の記録です。

『 南アルプスの自然と人 』

2014年 5月30日(金)
 
只今、我が家では遅咲きのクレマチスが咲いてます
私のお気に入りの八重タイプのクレマチスです。
 
 
イメージ 1 
 
さて、ちょっと興味ある本を手に入れました
表紙が少し反っていますが、中身は問題ないですね。
とはいえ、金山に関するページは少ない様ですが・・・ 
 
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本は1982年(昭和57年)6月30日第1刷とありました。
著者は新潟県生まれの理学博士の方です。
 
南アルプスといえば天然水?
 
いや、フォッサグナ・糸魚川―静岡構造線・中央構造線・・・etc
造山運動によって出来た山脈という認識を持っていました
 
※ 造山運動‐Wikipedia ↓
 
※ サントリー南アルプスの天然水 ↓
 
いくつか行って見たい所ではありますが、
大自然の山なので中々重い腰が上がりませんwww
 
2000~3000m級の山々が鎮座しています。
ツキノワグマも怖い存在です
 
それはさて置き、注目は金山です
某金山の始まりはこの本では戦国時代からとなっています。
明治初期まで掘られていた様ですが・・・。
 
セピア色の某金鉱の坑道口の画像が飛び込んで来ました
土肥金山の見学コースの入り口の様な感じでしっかりしている様に見えます。
 
「 現在はどないなってんかな? 」
私の好奇心は想像だけが湧いて来ます。
 
次は別の昭和初期の某金山の
採掘会社に努めていた方の話が引用されていました
 
現在の様な道は整備されてなかったので
人間の肩に頼るしかなかった様です
 
平地なら牛や馬を利用出来たのでしょうが、
急勾配の細い道ではそれも適わなかったようです
 
運搬人は 『 モチコ 』 と呼ばれ
若い女性であれば30キロを楽に担いだそうです
 
強力と呼ばれるプロは75~80キロを担いだそうです
因みに剛力彩芽さんの事では有馬温泉!(ありません)
 
※ 剛力彩芽Wikipedia ↓
 
※ 有馬温泉Wikipedia ↓
 
前人未到の地に従業員は380人でした
従業員の家族も含めると1000人強だったらしいです。
 
現場では製錬しなくて、更に街の製錬工場に送られていました
原鉱の破砕は極めて原始的で
(つ)き函という鉄製の函と杵で突き砕く方法でした
動力も水車が用いらていた様ですね。
 
もっと驚いたは鹿の皮を使ったアマルガム法が使われていたそうです
 
鹿の皮は柔軟で毛穴が開いているので重宝された事は本で知りました
鹿の皮をきつく絞り、水銀分を絞り出したのでしょうね。
そして、アマルガム を乾燥させて水銀を蒸発させたのですね。
 
金の量は月/30グラム位の採金があったとされています
 
この某金山は10年程で幕を閉じました
太平洋戦争の影響で鉄製品が回収されてしまった様ですwww
枯渇した訳じゃないので今でもそれ位は採れるのかな?
 
『 採掘権とかはこの会社のままなのかな? 』 
『 もし、購入するとしたらどれ位なのでしょうね? 』 
 
貴重な話が知れて良かったです