2014年 12月21日(日)
12月も後半ですが、ブログの画面に向かう事が少なくて・・・。
まあ~、堀りにも行けてないしねぇ~。
選挙で影響で延びた
NHK大河ドラマ 『 軍師 官兵衛 』 の最終回は本日放送でしたね。
関ヶ原の戦いを官兵衛は長引くと予想しました。
官兵衛の他に長引くと予想して
あわよくば天下をと目論んだ人物がもう一人います。
それが伊達政宗(だて・まさむね)氏です。
お陰で家康氏との100万石の約束はパーになったんだとか・・・。
そういえば大河ドラマもありましたね。
『 独眼竜政宗 』 は1987年(昭和62年)放映ですか。
私はみていないので何とも言えませんが、
世界の渡辺謙さんが主演でした。
※ 画像は 伊達政宗|戦国武将とゆかりの地 より ↓
平泉を中心に黄金文化を築き上げた奥州藤原氏が
源頼朝(みなもとのよりとも)氏に滅ぼされた後、
この地域は戦いで功のあった葛西氏の領地となりました。
小田原の北条氏征伐の命が全国に発せられました。
その際、領内に争乱が続き、
軍を送る余裕のなかった葛西晴信(かさい・はるのぶ)氏は
秀吉氏の命に従う事が出来ず、これを理由に秀吉氏に滅ぼされました。
※ 葛西晴信-Wikipedia ↓
※ 木村吉清-Wikipedia ↓
葛西領は木村吉清(きむら・よしきよ)氏の領地となり、
その後は政宗氏の所領となりました。
白石十郎左衛門(後の豊後時直)は葛西氏の家臣で
葛西氏滅亡後、浪人の身となりますが、
金山の管理責任者となり、金山経営をしていました。
秀吉氏は全国の金山は公儀ののものという考えに立ち
公有化を推し進めていました。
伊達領内の金山も例外ではなく、
1594年(文禄3年)3人の代官をこの地に差し向けました。
金掘りの御本判(許可証)を新たに発行し、
年1回の産金の税を3回とするよう命じました。
農業だけでは生活出来ない農民らは
副業として御本判を受けて砂金を採取して生計をたてていました。
年3回の税では暮らしが立ち行かないと、
周辺の金堀り子3,000人は、
白山堂(現在の松沢神社)に集結して一揆を起こしました。
一揆は鎮圧されて、主領格の4人は切り捨てられました。
頭取38人は捕らえられて、はりつけの処刑になりました。
との噂が流れました。
白石十郎左衛門(後の豊後時直)は京都に出向いて、
一揆の最中、3代官を守り奉仕した事や
新規に政宗氏に召し抱えられた者でありながら、
京都まで赴き立派に嫌疑を晴らした事が評価されました。
秀吉氏から『豊』を賜り『豊後』を名乗る事を許されて帰郷しました。
政宗氏は大変喜び、
豊後時直に40万石と家宝の鎧・兜を送ったとされています。
《参考:金山史跡Map 金山一揆とは?》
関連の書籍等もあるので後に紹介しょうと思います。
この趣味を始めるまで3英傑以外の戦国武将は勉強不足ですw