砂金に魅せられて!金狼の日々

砂金掘りを中心に、日常の記録です。

大御所家康と金粉餅

2014年 10月2日(木)
 
アメリカの経済指数が良くなかった事を発端に
欧米での株価下落を受け、日本株も同じ流れで進行中です
円安も一服かな?
 
さて、今日はお餅のお話です
 
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川のほとりの餅屋が金山を視察した家康氏に餅を献上する際に
豆の粉(黄な粉)をまぶした餅を差し出した
 
製法や名前を尋ねられ、
「 これは川に流れる金の粉をすくい上げて
  餅にまぶしたキナコ(金の粉)餅でございます。 」
と答えたところ、
その機転を賞されて安倍川餅の名がつけられたという
 
黄な粉餅といえば安倍川、
といわれるまでに有名になった理由はもう一つある。
 
当時、大変貴重品であった白砂糖を使っていたことである
この餅を食べた男が一皿五文のつもりでいたら、
一つ五文の請求を受けてたまげたところ、
 
横から
「 のろまめ、砂糖が高いのを知らねえか、
  白砂糖を使う餅が道中のどこにある! 」
とののしられた。
 
それで 『 安倍川五文取(ごもんどり) 』 とも呼ばれていた。
という話が 『 五十三次江戸土産 』 
『 東海道中膝栗毛 』 『 東街便覧図略 』 等に載っている。
 
また、弥勒院(みろくいん)の山伏が
二丁町(遊女街)の遊女に夢中になり破門され、
山伏をやめて源右衛門と名乗って餅を売り出したのが初めとも
東新田の米を使い丸子(まりこ)の宿で売った五郎右衛門が初めとも、
いわれている。
 
特に五郎右衛門の話には、
尾張公の姫君に大変好まれ、
毎日江戸屋敷まで送ったというおまけ話まである
 
今でも川のほとりには、
数軒の店舗が伝統の味を競い合って守っている
 
《 静岡県の不思議辞典:安倍川餅命名の由来は より一部抜粋 》
 
 
※ 安倍川もち 静岡観光ガイド ↓
 
 
この話はいくつかあるらしですね。
現在も元祖を掲げているお店がある様です