2014年 8月16日(土)
「 あれっ? 」
日が差して来たけど・・・。
今日は掘りに行かないと決めた判断は・・・。
さて、今日は北海道のお話です。
(画像は大千軒岳‐Wikipedia より)
『 黒滝の翁の話 』
金山の金堀り人夫としてかくれていたが、
幕府や藩の追求がきびしく106人のキリスト教徒が捕えられ、
寛永16年(1639年)斬首された。
その一部がО川の沢で処刑された。 】
とある。
私は当時、桐下鉢がキリスト教徒の処刑場所であることが事実であれば、
今から10年以上前だが、外人の宣教師が、
О川筋のキリスト教徒の処刑場所をさがしているということを新聞で見て、
早速、手紙でこの宣教師にキリシタバチのことを知らせてやった。
宣教師から礼状が来ていたが、
それからどうなったものか音沙汰がなかった。
ところが、1・2年前からキリシタバチをたよりに処刑地をさがし求めて、
それらしい遺跡が発見されたということが新聞に報道されるようになった。
キリシタバチの附近で金を掘ったという伝説が、
О川筋の地名と共に残っているので、
この沢で処刑されたキリシタンは
案外この沢で金掘りをしていたのではなかろうか。
『 松前年々記 』 に
【 元和三丁巳(1617年)曽津己(そっこ)大沢より、金芽出す。
松前金山の始なり 】
とあるが、
О川の上流に I 倉という地名の場所があり、古老は次のように語ってくれた。
「 ここは昔、 砂金を掘ったところで、土砂の崩れを防ぐために、
石垣を築いたものらしい。 その石垣は今なお残っている。
その石垣のある場所を I 倉と言っている。 」 と、
又その近くに黒滝という名のついた場所がある。
これについて古老は次のように語ってくれた。
昔、この附近に一人の翁(おきな)が小さな小屋を建ててここに寝泊りし、
一人で何かの鉱石を掘っていた。
その鉱石はよほど貴重なものらしく、
どんな人が聞いても言わず、お金をやっても、
何を掘っているものか、又掘っている場所も言わなかった。
ところがその翁は、何時の間にか、そこから姿を消してしまった。
翁がいなくなってから村の人々が、
その辺一帯をさがして見たが掘っていた場所もわからず、
したがって何を掘っていたのか知ることが出来なかった。
村人は
「 多分金を掘っていたものだろうが、翁が去る時に掘った跡を
ていねいに埋めて行ったものだろうと言い合った。 」
このことを 『 黒滝の翁の話 』 として古老は言い伝えていた。
老翁は砂金を掘っていたものだと思うが、
時代も不明であり、翁の行先も不明である。
これは I 倉で砂金を掘った以前のことだろうと推定している。
( 北国の史話と伝説 上巻 大沢のキリスト教徒処刑地の考証 より一部抜粋 )
古い産金地の話でした。