2014年 7月24日(木)
我が家を午前8時に出発です。
私にしては、かなり遅めの出発です。
道は混むのを承知で走りました。
ある目的があって遅い出発です。
さて、今日はそんな甲斐国のお話です。
絵:山本承功
昔、父と兄弟の三人が睦まじく暮らしていた。
母は兄弟が幼い時死んでいた。
兄弟ともに嫁を迎えても良い年ごろになった時、父が大病にかかった。
母は兄弟が幼い時死んでいた。
兄弟ともに嫁を迎えても良い年ごろになった時、父が大病にかかった。
父は
「 おれの死後、お前たちが暮らしに困らないように
家の持ち山を半分づつ分けてやる。
どっちにも金の取れる山があるはずだから
おれが死んだら、金のツルを探して掘るがいい。 」
と遺言して死んだ。
兄弟は父から分けてもらったそれぞれの山で、金脈を掘り当てて喜びあった。
金のおかげで、二人とも暮らしには困らなく、
仲良く同じ家で暮らした。
やがて、父の一周忌が近づくころになった時、
兄の山の金脈が細くなり、ほとんど金は取れなくなった。
反対に弟の山の金脈は、急に太くなりだした。
このことが、二人の兄弟仲を冷たくしていった。
父の一周忌がおわって間もないある日、
弟は二晩泊りで金を甲府に売りにいった。
三日目の夕方、弟が家に帰ってくると、兄は家にいなかった。
弟は胸さわぎがして、自分の山の金坑へ行ってみた。
坑道の入り口に、兄の手拭(てぬぐい)が落ちていた。
坑道の奥から、鉱石を砕く鎚の音が響いてきた。
弟はその瞬間、
自分の金脈の鉱石を盗んでいる兄にはらをたて、
夢中で、坑口を支えている杭(くい)の根元に大石をたたきつけ、
何本もの杭をくじいて坑口をこわし、
兄を坑内に閉じ込めてしまった。
家に帰った弟は、その夜ひと晩中寝つかれず、
夜明け時分、
とんでもないことをしてしまったとわれにかえり、坑口へ駆けつけた。
そして、必死に鶴嘴(つるはし)で坑口の土砂を掘り始めたが、
掘れば掘るほど山の斜面の土砂が崩れ落ちてきて、
仕事は少しもはかどらなかった。
だれかに救いを求めるわけにもいかず、
弟は三日間も必死に仕事を続けたが、
ついに兄を救うことを断念した。
孤独になった弟は、兄の死から数年後、兄の冥福を祈って、
掘り貯めた金で、小さな仏像を作り、京都へ上り、西本願寺へ寄進した。
弟は一生を独身ですごし、その死によってこの家系は絶えた。
( 富士川谷物語 より )
地域名は伏せさせて頂きました。
この辺りに金山はあったのでしょうか?