砂金に魅せられて!金狼の日々

砂金掘りを中心に、日常の記録です。

『 古文書研究 第7・8合併号 』

2014年 6月24日(火)
 
朝は小雨
帰りは晴天!
 
帰宅途中
「 あれっ!コスモス? 」
道路脇の遊休地にコスモス畑が見えました。
 
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真夏のコスモス
気分は秋だが・・・
風はヌルイwww
 
さて、気になる中古品の本?雑誌?をを見つけました
気になったのはその中の 『 金山と流人 』 でした。
 
 
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本は1975年(昭和50年)2月1日印刷
1975年(昭和50年)2月10日発行とありました。
編集は某学会です。
少々の波打ちはありますが、状態は良い方じゃないかな?
 
サブタイトルには 
『 山ヶ野の金山流人証文留を中心に 』 とありました。
 
「 しょうもんどめ と読んでいいかな? 」
 
どうやら、流人が九州の金山に関わっていた様です
ちょっと、私には分かり難いです。
 
「 なんだ、流人の事ばかりで読んでいてもツマライよ~。 」
「 おぉー! 」 
 
新しい情報じゃないけど・・・。
永野・山ヶ野・芹ヶ野・鹿籠金山についての記述がありました
 
この本によると、
永野金山の稼行は1640年寛永17年)から始まりました
 
某川上流で砂金が見出されたのが端緒(たんお)であるといわれているそうです
この年の6月には幕府に金山開坑の許可を得ました。
 
人員は7・8000人程といわれています。
丁場による砂金採集だった様です
 
翌年の8月、産出砂金の4,750匁等を幕府に上納し、
金山の上知も願い出ました。
幕府は、翌1642年寛永19年)に採掘を許可しました
藩は金山の区域を拡張しました。
 
1656年(明暦2年)~1666年(寛文6年)までの産金高は
合計2,723貫568匁でした
kgにすると、10,213.38 kg となりますね。(計算が間違ってなければ・・・)
 
金山は幕末にかけて衰退し、
山ヶ野以外の金山は休山する事もあった様です
 
気になった本を読めて良かったです。
金山の事も少し知る事が出来ました