2014年 6月8日(日)
昨日の帰宅時は豪雨で視界が悪かったです。
今週は土曜日しか掘りに行けなかったのですが・・・。
諦めてサッカーを観戦しようと思い、先ずは風呂上がりのルービ! (ビール)
「 この雨じゃ砂金掘りも行けない・・・。 」
理由付けして2本目の缶を開けました。
サッカーが始まる頃には夢の中でした。
結局のところ、お昼に起きてから録画を見ました。
天気は回復して、青空が・・・。
「 行けたかな?判断ミス? 」
(画像は 2009年 夏号 [連載:発見!暮らしのなかの科学]金の魅力と実力を追う!より)
さて、今日は北海道の埋蔵砂金のお話です。
1917年(大正6年)夏、
砂金を求めて渚滑方面から、北見富士を超え、
M川に上流にやって来た一人の山師がいました。
年齢60歳。
彼は人跡未踏(じんせきみとう)の山間の川を訪ねて、椀掛け法で砂金を採取していました。
砂金を4合瓶に詰めぶら下げていました。
彼は砂金が思いのほか大量に採取出来たので、
4合瓶3本に詰め、
あとは腹巻に詰め込んで落とさない様に歩いていました。
ところが、M川上流に着いた時、急に腹が痛み出しました。
腹巻の砂金ですっかり冷えてしまったのです。
老山師は仕方なく、その場に横になり回復を待ちましたが、
一向に良くなる気配がありません。
それどころか、刺し込みは益々酷くなりました。
困惑した老山師はやむなく
付近のナラの大木の根元に穴を掘り、瓶3本を埋めました。
腹巻の砂金を出して布に入れて手で持ちました。
やっとの思いでM市街に辿り着き、斎藤という旅館へ転がり込みました。
3日程旅館で休みましたが、
治りそうもないので砂金で代金を支払い、
札幌まで移動してある病院へ入院しました。
病気は思いのほか重く、胃ガンと診断されました。
しかも、病状は日を追って悪化して行きました。
老山師は、もう助からないと考えたのか
世話になっている看護婦を枕元に呼びました。
「 私は間もなく死ぬだろう。 」
「 実はM川の上流のナラの木の根元に砂金を埋めて来た。 」
「 これを貴方にあげよう。 」
看護婦に隠し金の場所を書いた図面を与え、
老山師は間もなく亡くなりました。
それから7年、看護婦は結婚する事になりました。
病院を退職したのを機に、
老山師が話していた斎藤旅館に赴いて宿泊しました。
退職金を資金に作業員を数人雇いました。
図面を頼りにM川上流一帯を1週間程探しました。
しかし、ついに目印のナラの大木を見つける事が出来ず断念しました。
看護婦は旅館の女主人のかねに
その真相を語り、旅館を去りました。
これにより、隠し金の話が伝えられる様になりました。
看護婦は戦中から戦後にかけて紋別に移住しました。
長く旅館の女主人と文通していましたが、
1950年(昭和25年)からぱったり跡絶(とだ)えました。
病気か、あるいは亡くなられたのかも知れません。
女主人も1967年(昭和42年)、94歳の高齢で亡くなりました。
これにより、砂金を知る人は誰もいなくなりました。
隠し金の図面も今はどこにあるか分かりません。
老山師が隠した砂金は今もM川上流に眠り続けている?
(参照:北海道おどろおどろ物語)
(画像はグランドエクシブ浜名湖より)
4合瓶は720mlだよね。
水だったら、1ml=1gなので720gだね。
中身が金なので水との比重を掛ければいいのかな?
分り易い様に瓶自体の重さは考えませんよ。
純金は19.3とされていますね。
実際の砂金はもっと値が低いのだろうけど。
720g×19.3=13.896kg
私の考え方は間違えているのろうか?
少な目に見積もっても10kgの計算になるのだが・・・。
山師のお爺ちゃんは、30㎏+αを身に着けていた事になる訳?
妊婦体験の10kgでも大変だと思ったのにねぇ~。
1合瓶でも考えて見ました。
180g×19.3=3.474kg
これなら、あり得ると思いますが・・・。
北海道ではバケツ一杯採れた噂?もあった様ですので・・・。
北海道は話もスケールが違いますよ。