砂金に魅せられて!金狼の日々

砂金掘りを中心に、日常の記録です。

『 江戸時代 人づくり風土記 16 富山 』

2014年 4月23日(水)
 
晩御飯前に頂きました
かみさんのお土産です。
 
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私的にはゴールドパッケージのチョコ味がおススメです
 
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※ 東京ラスクオフィシャルサイト ↓
 
私はゴールデンウィークまで残り2日です
チョコっと頑張りましょうかね。
天気は28・29・30日と雨模様の様ですね
 
さて、私には見慣れたシリーズ本です
今日は富山バージョンです。
 
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本は1993年(平成5年) 9月25日発行とあります。
監修は3名の博士の方です。
 
越中七金山(えっちゅうななかねやま)には以前から興味がありました
しかし、余り詳しい事は分かりませんでした。
 
松倉(まつくら)・河原波(かわらなみ)・虎谷(とらだに)・下田(げた)四金山
吉野(よしの)・亀谷(かめがい)二銀山と長棟(ながと)鉛山
称して越中七金山と呼びました。
加賀藩の財政を支えたドル箱鉱山だったとの事です
 
この本によれば
松倉金山は応永年間(1394年~1428年)、
河原波金山は天文年間(1532年~1555年)、
天正年間(1573年~1592年)に入って
吉野銀山・下田金山が発見されました
 
天正6年(1578年)に亀谷銀山
元和元年(1615年)に虎谷金山
寛永3年(1626年)に長棟鉛山が発見されたそうです
 
権利は時代と共に上杉氏→佐々氏→豊臣氏→前田氏と移りました。
越中の金山は鉱山分布図によると他にもあった様です
糸谷(いとだに)金山・刀利(とうり)金山という名前がありますが・・・。
 
加賀藩の有名な山師に大山左平次(おおやまさへいじ)という人物がいます
とても興味がありますが、詳しく分かりません。
 
越中七金山に関連した人々は衰退と共に佐渡へ移って行った様です
中々楽しませてくれた一冊です。