砂金に魅せられて!金狼の日々

砂金掘りを中心に、日常の記録です。

柳沢吉保と甲州金

2014年 4月12日(土)
 
今週の仕事は今日でやっとこさ終わりました。(甲州弁?)
ゴールデンウィークまであと2週間です。
 
喜びも束の間、5月は休日出勤が2回もあります
砂金掘りには気持ちのいい時期なのですが・・・。
 
さて、金山の事調べるとよく甲州金に当たります
一口に甲州金といっても奥が深く種類も沢山あります。
 
大きく分けますと、古甲金と新甲金になります
江戸時代を境にして江戸以前は古甲金です。
江戸以後は新甲金です。 
 
イメージ 1
 
そして、甲州金といえばやはり武田信玄氏ですね
現在、古銭商で取り扱われている甲州金の多くは江戸時代のモノです
博物館以外で詳しくて分かりやすいサイトはこちらです。
 
※ 甲州金‐Wikipedia ↓
 
※ 武田信玄講座 貨幣 ↓
 
※ 戦国時代の貨幣 甲州金 ↓
 
※ 山梨中央銀行 山梨中銀金融資料館 ↓
 
甲州金は江戸時代まで使用されました
長い時代の間に何度か存続が危ぶまれました。
 
甲州の人々の熱意も然る事ながら存続立役者の一人として
柳沢吉保(やなぎさわ・よしやす)という人物に辿り着きました
 
甲府城主だった柳沢吉保氏が
幕府に甲州金の使用存続を願い出たらしいのです
 
※ 柳沢吉保Wikipedia ↓
 
柳沢吉保氏は第5代将軍の徳川綱吉氏にの寵愛(ちょうあい)を受けて
一介の小姓から将軍の側用人に取り立てらたとされています
 
まだ綱吉氏が館林藩主だった頃で柳沢吉保氏は15歳でした。
綱吉氏は男色好きで柳沢吉保氏が綱吉氏のお目に適ったという事ですか?
 
綱吉氏は将軍になってからも男色趣味は続き、
柳沢吉保氏が美童の少年だけを集めて手配したという話もありますが・・・
 
柳沢吉保氏は元禄時代大老格として幕政を主導しました
晩年は甲府15万石を領しました。
また、松平姓を許され綱吉氏の 『 吉 』 の字を受け賜りました。
 
大出世の裏側には色んな話が残っています
綱吉氏は男色・女色の両刀使い(バイセクシャル)だった様ですね。
 
吉保氏の有名な言葉に
『 泰平の世の中で 出世をするのは 金と女を使うに限る 』 とあります。
綱吉氏との関係は非常に深かった様ですね
 
「 あれっ!甲州金の話からだいぶそれましたなぁ~。 」
 
話を戻すと、
甲州金の存続に一役買っていたという事で柳沢吉保氏の御蔭様です
そういえば恵林寺(えりんじ)柳沢吉保氏のお墓がありましたね。
 
 恵林寺 オフィシャル ウェブサイト ↓
 
甲州金の中には裏極印に柳沢吉保氏の幼名である
房安(ふさやす)の安の文字が使用されたものがあります
 
手に入れるには十数万円が必要ですなぁ~