砂金に魅せられて!金狼の日々

砂金掘りを中心に、日常の記録です。

『 江戸時代 人づくり風土記 19 山梨 』

2014年 3月12日(水)
 
春の暖かさが戻って来ました
もう雪は要らないですね。
 
純金のくまモンですか?
1億円ですか!!
もう何でもありですね
 
※ 純金製くまモン像 朝日新聞デジタル ↓
 
さて、ちょっと面白そうなシリーズの本を某図書館で見つけました
今回は山梨版です
数冊手にしましたが、後にとって置きますね。
他県も興味ある内容がありました
 
 イメージ 1
 
本は1997年(平成9年) 9月30日第1刷発行とあります。
山梨版の監修は当時の山梨大学非常勤講師の方です。
 
甲州金・大久保長安氏・柳沢吉保氏と興味深いですが、
やはり金山のページですね
甲斐の金山はいつからあったのでしょうか?
 
鎌倉時代の武将の安田義定(やすだ・よしさだ)氏の
菩提寺(ぼだいじ)高橋山放光寺(こうきょうさんほうこうじ)
かつて塩山市の山奥にあったと言い伝えられているそうです
 
安田義定が金山の開発・経営に深く関わっていたという説です
最も古い金山開発は放光寺の山奥で、あの黒川金山という事です。
 
現在知られている古い記録は 『 王代記(おうだいき) 』 です。
1498年(明応7年)に中部地方地震が起こり、
その際に金山が崩れたという記事があるそうです
 
その金山が黒川金山とされ、
金山経営の起源は少なくとも室町時代まで遡(さかのぼ)ります
黒川金山の事を書いた本にもあったかな?
 
関ヶ原の合戦後、家康氏は甲斐国をいち早く領地として
大久保長安氏を送り込みました。
そして、新たに抜擢された人物が佐野七郎兵衛(さの・しちろべえ)氏です。
穴山家の財源確保に重要な役割を果たしていたとされています
 
後に新たな甲斐の金山の開発に繋がっていったのでしょうか?
 
この金山が発見されたのは、はっきりしていませんが、
慶長年間という事は間違いない様ですね
直接の現場監督は宗岡佐渡(むねおか・さど)氏という人物だといわれているそうです。
 
江戸時代の甲州金はここの金を主に製錬したものらしいです
金座の後藤家配下となった松木五郎兵衛(まつき・ごろべえ)氏が
甲府佐渡の金座で精錬にあたりました
 
イヤー!思ってもいない本に巡り会いました
大変楽しくてワクワクしました。