砂金に魅せられて!金狼の日々

砂金掘りを中心に、日常の記録です。

『 前田利家のすべて 』

2013年11月15日(金)
 
おぉー!日経平均が1万5千円台に突入したね
期待出来るかな?
 
私は明日も仕事です
来春までは忙しい日々です
 
消費税が上がってからはどうかな?
過去の様に崖を転がらない様に祈るだけです。
 
さて、某図書館から借りて着ました
 

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本は2001年 11月15日第1刷発行とあります。
偶然ですが、12年前の今日ですね。
本はシリーズものの中の1冊です。
編集は新潟県生まれの方です。
 
皆さんは前田利家(まえだ・としいえ)氏と聞いてなんと答えるだろうか?
私は加賀百万石のお殿様と答えるだろうか
 
 
前田家は尾張織田家に仕える小領主でした
四男の利家氏は織田信長氏の近習(きんしゅう)として仕えていました。
 
歌舞伎者といわれるほどの伊達男で男前であった様です
伊達男とは『 派手な振る舞いをする男 』
『 派手ないでたちの男 』という意味です。
 
信長氏は利家氏を若い頃の自分と重ね合わせたのでしょうか?
後に信長氏の命により軟弱な兄にかわり前田家を相続し、
荒子城主となりました。(現・名古屋市
 
槍の名手で猛将でした
若い頃の戦での負傷が元で右眼は失明していたそうです。
それでも織田軍団の赤母衣衆(あかほろしゅう)筆頭として活躍しました
 
信長氏は『 母衣衆(ほろしゅう) 』と呼ばれる精鋭部隊を二つに編制して
黒色と赤色に着色させた母衣を使用させて互いに競わせたそうです
 
ライバルは黒母衣衆の佐々成政(ささ・なりまさ)でありました
母衣とは背中に背負う物で後から射られた矢を防ぐ為の武具です。
 ※ 佐々成政-Wikipedia ↓
 
信長氏亡き後も豊臣秀吉五大老に列するまで出世しています
信長氏に仕えていた頃からの秀吉氏との結びつきは強かった様です。
 
秀吉氏亡き後は徳川家と前田家は結びつきを強固にして行きます
 
私の興味は佐々成政氏の越中の金山ですが
すぐには利家氏のものにはならなかった様です。
 
秀吉氏は金山の事を知っていたのでしょうか?
太閤蔵入地とされ、約7年後の文禄4年(1595)に所領になりました。
 
また、利家氏は鉱山開発にも関心を持っていました
娘婿に採掘を命じ、報告する様指示しています
 
短い文章ですが興味深いです。
まだ情報収集の段階です
チャンスがあれば行ってみたいですが、来春以降に期待です。