砂金に魅せられて!金狼の日々

砂金掘りを中心に、日常の記録です。

帰雲城 (かえりくもじょう)

2012年 12月31日(月)
 
願わくば掘り納めに出掛けたい! 
という私の夢も儚(はかな)く、天には逆らえずに諦めました。
 
土砂降りの雨の一日になりました。 
本当に今年は天が見方してくれませんね。
と本来は30日の予定だったですが、
ナンだカンだしてるうちに、
日付が変わってしまいましたので少し修正です。 
 
昨日は午後からは、かみさんと買い物に出掛けました。
年末は、どこも人がいっぱいで、レジも混み合っていますなあー。
 
今日は我が家の遅い忘年会です。
人も増えるし、にぎやかでしょうね。
お酒を飲みすぎない様に気をつけます。
 
さて、今日は・・・。 
とある悲運の城ミステリー埋蔵金のお話です。
正確には、埋没金でしたね。
有名なので、ご存知の方も沢山いると思いますが・・・。
 
イメージ 1
 
帰雲城(かえりくもじょう)は、 
元、寺領だった飛騨国(ひだのくに)の白川の地に、
信濃国(しなののくに)の松代からやって来た内ヶ嶋 為氏(うちがしま・ためうじ)氏が、
1464年(寛正5年)頃、帰雲山付近築いて本城にしたとの事です。
 
確かな場所は不明の様です。
標高1,622mの帰雲山は、
雲がこの山に当たると逆流して帰って行った
という言い伝えに由来するそうです。
 
領内の一帯は、農作物は然程(さほど)収穫出来ず
財政的に(こんきゅう)していたはずだと言われています。
 
ところが、そんな様子もなく、
むしろ潤っていた様子であります。
もうお分かりでしょうか?
そこには、金の存在がありました。
 
内ヶ嶋氏は数ヶ所の金山を持ち、金あるは砂金を採っていた言われています。
この領内は、かなりの量の金が産出していた様です。
そして、内ヶ嶋氏は相当量の金を蓄えていたのではないか?と言われています。
 
時は1585年(天正13年)11月29日
松平 家忠(まつだいら・いえただ)の日記によると、
22時頃に天正地震が発生しました。
 
現代では、地震の規模はマグニチュード8.1位と推測されています。
震源地は北陸地方らしいです。
 
さらに、家忠日記によると、翌日の2時頃にも大規模な余震が発生しました。
その後も余震が続き、翌月23日まで間に
ほぼ毎日余地震があった事が記載されています。
 
天正地震帰雲山の山崩れ(山津波)が発生して、
帰雲城と城下町が呑み込まれて埋没したそうです。
 
この領内では、震度6程度と考えられてます。
城主の内ヶ嶋 氏理(うちがしま・うじまさ)氏ら一族は全て死に絶えました。
 
幾多の謎を残し、120年余り続いた内ヶ嶋氏は
黄金伝説と一緒に白川の地中深くで静かに眠っています。
 
「 おっー!ちゃんと調べている人がいました。凄いです。 」
 
※ 白川郷の秘密 新・帰雲城と内ヶ嶋氏の謎 
 
私は埋没金より金山の方が気になりました。 
いつかは、訪れたいと思いますが冬は無理ですなあ。
 
それではみなさん良い年をお迎え下さいね。