砂金に魅せられて!金狼の日々

砂金掘りを中心に、日常の記録です。

穴山 梅雪 (あなやま・ばいせつ)

2012年 12月23日(日)
 
世間ではクリスマスムード一色ですね。 
私の所にもサンタさんが来るといいなあと思う今日この頃です。 
 
話は変わりますが、金山経営に関わりを持っていたという事から
この人物に興味が湧くのは自然な事ですかね
 
穴山信君(あなやま・のぶきみ)と言った方が分かりやすいかな?
一説には 『 のぶた 』 とも言われてます。
出家後の 『 梅雪 』 の方が有名なので、ここでは梅雪とします
 
ご存知の通り、武田信玄氏の重臣
一般的な評価が高い24人を指す 『 武田二十四将 』 の一人とされてます。
 
また、 『 武田姓 』 を許される御一門衆に属し、
血縁関係が深かった事が知られてます。
 
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武田家の裏切り者として悪評が高い様ですが、
時は戦国の世、先見の目は確かだったと私は思います。
 
拝領地が国境付近の為か?
信玄氏の外交も担当していた様です。
そんな条件も重なり、勝頼氏の時代には徳川家康氏に内通していた様です。
 
金山経営以上に興味が湧いたのは、その死因と家康氏との関係です。
 
信長謁見後、家康氏と共に堺見物の為の滞在中でした。
河内国(かわちのくに)四条畷(しじょうなわて)本能寺の変を知り
有名な伊賀越えをして家康氏は岡崎城に無事辿(たど)り着きました。
 
ちなみに伊賀越えは畿内より東国へ行く際に
伊賀国(いがのくに)を経由して行く事を指します。
 
一方の梅雪氏は山城国(やましろのくに)相楽郡山田から別の道を選択しました。
通説ですと山城国綴喜郡(つづきぐん)草内村あたりで土民達に討ち取られました
 
梅雪氏の嫡男である穴山勝千代氏(武田信治)が
天正15年(1587年)に急死した為血統は断絶しています。
しかし、甲斐武田氏名跡徳川家康氏の息子の武田信吉氏が継承しました。
 
「 そこまでするには何かあったのでは? 」       
考えるのは私だけでしょうか?
 
ミステリアスな一面ですね。
研究が進みいつか分かる日が来るか否や・・・。