砂金に魅せられて!金狼の日々

砂金掘りを中心に、日常の記録です。

『 平賀源内と中島利兵衛 』

2016年 4月19日(火)

熊本の震災の影響で仕事がお休みになってしまいました
昼まで寝ていて、お昼ご飯が朝ご飯になってしまいましたw
その後、散髪に行って溜まっていた録画を見ました
やっと 『 せいこうの歴史再考 』 も見れましたw

※ せいこうの歴史再考 ↓

さて、今日は先日に気になった本の事ですね
いずれと言っていると、つい忘れてしまいますから・・・。 (笑)

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本は1981年(昭和56年)9月10日初版第1刷発行とありました。
著者は埼玉県生まれの方です。
感のいい人なら、お分かりかも知れませんが、
著者は中島利兵衛氏の子孫です

平賀源内氏の主催した物産会(東都薬品会)
中島利兵衛氏が石綿(石麪せきめん)を出品しました。
この事が二人を結び付けるきかっけとなった様です。

火浣布(かかんぷ)と呼ばれる不燃性の石綿織布の製作されました
発表したのは源内氏であるが、製作したのは利兵衛氏一族だった様です。
源内氏が上手い誇張表現で宣伝しちゃったからさあ大変!
サンプル品の製作が出来ただけで、原材料の調達もままならない状態でした。

石綿を発見した所は期待した鉱床じゃなかったのでした
この辺りに蛇紋岩あるのですね。
砂白金は出るのだろうか?
更に奥地に進みましたが、石綿は極少量しか出なかった様です。

源内氏の心は訪問先で見つけた金・銀・銅の鉱石に移って行ったのでした
中津川金山経営が始まって行く事になりました。
正確には再開発ですね。

ちょうどこの頃の幕府のは、鉱山の再開発に力を注いでおりました
幕府の実権を握っていたのは、
田沼意次(たぬま・おきつぐ)氏で田沼時代と呼ばれています。

源内氏は残念ながら再開発は成功せずに
悪い意味の方の山師のレッテルを貼られてしまいました。

源内氏の最期は獄中で迎えました
親友であった杉田玄白氏は源内氏の事をこう書き記しています。

『 (ああ)、非常の人、非常の事を好み、行い是非常、何ぞ非常の死 』
《 生前にあっても、常識では、
  はかり知れないところのある人だったけれども、
  まあ、また、その死にかたまでも、何と非常の人であることよ 》
という意味の様ですw

ちゃんと資料が残っていて凄いと思いました
興味深い一冊でした。
勉強になりましたwww
明日はお出掛けしようと思います。