砂金に魅せられて!金狼の日々

砂金掘りを中心に、日常の記録です。

『 月刊 ボナンザ 1982年 12月号 』

2014年 11月29日(土)
 
夜勤明けの朝は雨です
予報では大した雨量にはならない様です。
砂金掘りに出掛ける元気もなく今日は休養ですw
 
仕事が忙しく、おかげ様で一週間が長かったです
また、気温が高くて若干蒸し暑く感じました。
来週の火曜日位からは寒くなる様です。
 
さて、気になる雑誌を注文しました
『 太閤分銅金 』 に興味を持っていました。 
 
イメージ 1
 
雑誌は1982年(昭和57年)12月15日発行とありました。
発行元は株式会社ボナンザです。
お馴染みの雑誌になりましたね。
 
以前に豊臣秀吉氏が非常用備蓄として
全国から集めた金で造らせたと学習しました
 
※ マイブログ 2013年2月16日の記事 ↓
 
興味のページは、 
『 日本貨幣図鑑 』 編述余話⑩ 『 太閤分銅金 』 のこと
と題されていました。
著者は古銭研究家の方です
 
雑誌によれば、太閤分銅金という呼び名は著者の方が付けたそうです
その他に小法馬金(しょうほうまきん)という呼び名があります。
久能山遺品目録には 『 小ぶんどう 』 と記されていた様ですw
製作はやはり後藤家が担当したという見解の様ですね。
 
日露戦争時、尾張徳川家が日銀名古屋支店に供出売却された様です
それまでは名古屋城天守(主)閣に厳重保管されていました。
 
本には載ってませんでしたが、
検索したら、その数はなんと300個ですwww
 
※独立法人造幣局 ↓
 
大法馬金には、
『 行軍守城勿作尋常費 (戦争以外はつかってはならない) 』
と書かれているそうです。
 
大法馬金は幕府が財政難の時に小判にしたので現存しないそうですwww
レプリカですね。
徳川家の家紋が入っていたのでしょうか?
少し疑問に思いました。
 
太閤分銅金は5種類ある様です。(雑誌の表紙を参照してね)
① 表面中央[定]字印のもの (画像:左上)
② 布目地に中央[吉]字印のもの (画像:中央)
③ 布目地に中央桐紋印のもの (画像:左下)
④ 小菊ちらしに中央桐紋印のもの (画像:右下)
⑤ 布目地に中央[佐]字印のもの (画像:右上)
 
④の小菊ちらしついては、
日銀受け入れ当時の封紙には小ざくらちらしと書いてあった様です
多弁花模様であり、中央桐紋と対称して小菊ちらしに改めたそうです。
 
東京の貨幣博物館で見れるらしいのですが・・・
機会はないねぇ~。
 
※ 日本銀行 金融研究所 貨幣博物館 ↓
 
『 有事の金 』 と言いますが、
昔もちゃんと蓄えられていたのですね