砂金に魅せられて!金狼の日々

砂金掘りを中心に、日常の記録です。

国宝 彦根城

2012年 4月15日(日)
 
急に暖かくなり遅れていた桜(ソメイヨシノ)が咲き始めました
出掛けたい桜の名所は数多くあります。
タイミングが悪いとあっという間に散ってしまいます。
 
京都の嵐山( かみさん案 )を予定していましたが、
散り始めと開花情報の記載を見て変更しました。
今回は見ごろを迎えた滋賀県彦根城に出掛けました。
以前から一度行って見たかった所です。
 
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ご存知の通り彦根城は国宝であります。
別称を金亀城(こんきじょう)と呼ばれています。
 
※ 彦根城HP 彦根城マップ↓
 
徳川四天王の一人であります井伊直政(いい・なおまさ)氏が関ヶ原の戦いの軍功により
石田三成(いしだ・みつなり)氏の居城であった佐和山城さわやまじょう)を与えられました。
 
直政氏は佐和山の西磯山に城を移そうとしていましたが、
関ヶ原の戦いの時の鉄砲傷が癒(い)えないまま破傷風(はしょうふう)が元で没しました
 
その後、直政の家臣で家老の木俣守勝が家康氏に相談して
彦根城の築城が開始されました。
 
築城には公儀御奉行3名が付けられました。
尾張藩や越前藩など7か国12大名(または15大名)が
家康氏より手伝いを命じられています。
 
佐和山藩18万石は廃藩となり、新に彦根藩35万石が置かれました
明治時代になるまで井伊氏の藩として大いに栄えることとなりました。
彦根藩は開国の人、大老井伊直弼を輩出した事でも知られています。
 
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直政氏は遠江国(とおとうみのくに)の井伊谷の出身ででした。
井伊家は先祖代々、井伊谷の領主でありました。
そして、父の直親氏は今川家の家臣でした。
 
父は直政氏の生まれた翌年の1562年(永禄5年)に
謀反の嫌疑(けんぎ)を受けて今川氏真誅殺(ちゅうさつ)されました。
その後、生母が今川家の家臣と再婚した為井伊家の家督相続権を失いました
 
直政氏は1575年天正3年)家康氏に見出されて
井伊家に復することを許されました。
旧領である井伊谷を与えられ、家康氏の小姓として取り立てられました
 
家督を代行していた養母の直虎が1582年(天正10年)に亡くなると
正式に当主となりました。
 
やがて、武田家の家臣の山県昌景(やまがた まさかげ)氏の朱色の軍装の
『 武田軍の赤備え 』 を家康氏の命により復活させて
『 井伊の赤備え 』 とばれる精鋭部隊の大将となりました。
 
(かぶと)には鬼の角のような前立物をあしらい
長槍で敵を蹴散らして行く勇猛な姿は
『 井伊の赤鬼 』 と称されて諸大名から恐れられたそうです。
 
私的には沢山の逸話があり大変魅力的な人物です。 
勘違いしないで下さいね。 
そういう趣味はございませんのでね。
徳川時代を築いた一人には間違いない様です。