砂金に魅せられて!金狼の日々

砂金掘りを中心に、日常の記録です。

金の長芋?

2014年 1月21日(火)
 
昼間は晴れて日が差し家の中は暖かいです。 
ボーっとしてると眠たくなります。
 
さて、先日こんな話を見つけました。
『 金の長いも 』 という題名に手が止まりました。
 
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それはこの様な文でした。
 
 
徳川家康が江戸に幕府を開いた頃の話である。
みちのくの津軽と南部の境を定めるために
十左衛門(じゅうさえもん)という南部の代官が鹿角にやってきた。
 
十左衛門は、錦木 から尾去沢の山々を調べ、
まずこの辺を境にしようと決め、
しばらくこの場所に住むことにした。
 
村人は、代官様がこのような田舎にわざわざ来てくれたとのことで、
ご苦労のお見舞いにと、代官の家を代わる代わる訪ねた。
そして、十左衛門の屋敷は村人の訪問でにぎやかになった。
 
十左衛門は、親切にも訪ねてきた村人の話し相手になり、
百姓の仕事の難儀さや作物のできぐあいなどの話に
耳をかしてやったので村人も喜び、
十左衛門のことを、
「 こんど来た代官様は、いい人だ、南部一のいい男だ。 」
とうわさしあっていた。
 
さて、ある日のこと。
百姓の女が二人の息子を連れて十左衛門の屋敷を訪ねて来た。
 
十左衛門はあいにくその日が忙しかったため、
話を聞いてやることができず、
別の日にまた来るようにと話して帰した。
女は帰るときに、
土産にと持ってきたワラの包みを十左衛門に置いていった。

その晩、十左衛門がその包みを開けて見ると、
中から四尺ほどの長さの長芋が出てきた。
 
「 おお、これは見事なものじゃ。 」
と手にとってよく見ると、
その芋 はキラキラと金色に光っていた。
 
十左衛門は驚き、今日の用件を聞いてやるということ
この芋を持って来た女へさっそく使いを出した。
そして、家来はその夜のうちにその百姓の女を連れてきた。
 
「 今日訪ねてきた時のお前の用件とはどんな事じゃ。 」
十左衛門は親切に尋ねた。
 
女によると、
十数年前に夫が死んでから欲張りの伯父に夫が残した土地を
全部取り上げられ てしまい、
どうやって自分たちは生きていったらよいのか
と困っているとのことであった。
 
「 お前には子供はいるのか。 」
と十左衛門が聞くと、
「 太郎子、次郎子という二人の子供がおります。 」
と言い、百姓の女は暗がりの外を指さした。
 
見ると、そまつな格好をした若者と、その弟と思われる少年が、
地べたに座って心配そうに成り行きを見守っていた。
 
正直そうな二人の若者の顔を見て、
「 よろしい、よく調べてできるだけの事をしてやる。
まず今夜は安心して帰りなさい。 」
と十左衛門は申し渡してその親子を帰した。
 
次の日からさっそく、村の長老を集めて意見を聞き、
女の伯父も呼んで事実関係を調べると、
すべて百姓の女の言ったとおりであった。
 
そこで、十左衛門は、
伯父が女から取り上げた土地を女に返すように話を進め、
この事件を円満に解決してやった。
 
百姓の女は、とても喜び、村に帰って皆にこのことを話した。
それからは、
「 お代官様は、長芋がお好きらしい。 」
「 長芋を土産に持っていくと、悩み事を解決してもらえる。 」
という噂がたち、
十左衛門のところには、長芋を掘って差し出す者が次々と現れ、
屋敷の台所も長芋の山でうずまるほどであった。

さて、十左衛門がその芋を一つ一つ調べて見ると、
どれにもみんな少しずつの金の砂が付いていた。

「 百姓は砂金というもののありがたさを知らないのか。 」
と十左衛門は家来をつれて百姓の女を訪ねた。
 
そして、芋畑の場所を教えてもらいよく調べると、
やはり辺り一帯はすばらしい砂金の畑であった。
 
十左衛門はすぐに境界を決めて、ここへ番所を置いた。
そして、太郎子や次郎子とも力を合わせ、
ここの畑の土を水に入れて、かきまぜ、流し、
残った砂を乾かすなどして、たくさんの砂金を採取した。

これが、白根金山発見の始まりと伝えられている。
( 鹿角地域の伝説 第5話より )
 
※ 鹿角地域の伝説 ↓
 
この十左衛門(じゅうさえもん)という人物は実在の方です。
大阪の冬の陣・夏の陣にの関連していて
『 南部光り武者 』と呼ばれたそうです。
史書に残っているそうですが・・・。
 
こちらの方が詳しいでしょうか?
 
※ 北信景-Wikipedia ↓
 
砂金と芋に関する話は他の地方でもある様です
また、調べてみたいです。