砂金に魅せられて!金狼の日々

砂金掘りを中心に、日常の記録です。

味噌粕岩遺跡とその伝説

2015年 12月30日(水)

今年も残り少なくなりました
冬期連休に入って家の用事を済ませている内に
掘り納めに行けなくなってしまいましたw
天気は良かったのね~。 
全ては工事業者のせいです。

さて今日は白蛇と金を排出する犬のお話です。 
久々のカテゴリだわ。
「 ウホッ!ウホッ! 」
それはエネゴリくんやろー!



イメージ 1

(画像はサイトより)

※ エネゴリ ↓
 
ゴリラが繋がりでもうひとつ
ちまたでは名古屋の東山動物園のゴリラがイケメンだと話題になってます
気を取り直して行きましょうか。
 
《 味噌粕岩遺跡とその伝説 》
 
井ノ口町(現在の上里一、二丁目あたり)にあった味噌粕岩遺跡は
弥生時代の土器、岩庖丁、馬骨、イネ科植物の遺体などが発掘され、
弥生時代この地での稲作開始期の様相を示す貴重な遺跡とされています。
 
現在は埋没されて二四八号線西側上里二丁目地内の
その位置に稲荷堂が建てられています。
味噌粕岩の名の由来となる伝説があります。

「 昔、あさひ長者と呼ばれる人がいました。
岩津村大門に大きな門があり、蔵前に蔵があり、
井ノ口には井戸を持っているほどの大金持ちでした。
 
ある日外出先で子どもたちが
白蛇をつかまえていじめているのを見た長者は、
蛇をあわれに思い助けてやりました。
 
翌日の夜、長者の枕もとにその白蛇が現われ、
救っていただいたお礼にといって小犬を置いていきました。
 
その後この犬に米一合与えるごとに純金一合を排出し、
二合与えると二合排出しました。
 
これによって長者はみるみる大金持になって使用人も家族も増えてきたため、
朝夕の味噌汁の粕がたまり、積もり積もって岩になったのが味噌粕岩で、
長者は長く生き四百歳になっても死ねず、
とうとう真福寺の池に身を投げました 」
という話です。

真福長者の伝説も同じような、蛇と犬と砂金の出てくる話です。
岩津村誌、岩津町誌、新篇岩津町誌にそれぞれ載っていますが、
村誌では「 味噌滓岩 」(真福長者也)とした上で、
文中では「 あさひ長者なるもの… 」としています。
 
また昔の終わりに「 荒唐不稽の僻説なれど伝説として録せり 」と書いています。
伝説は、時がたち、所によって様々に変化し、また創られてもいくようです。
味噌粕岩は矢作宿の兼高長者の屋敷にあったという話もあります。

 「 兼高長者の所領は西熱田に接し、東国府の直轄領に接していた。
その屋敷は矢作川の東の岩津村大門に東門があって、
それから三里もあろうという安城の里村までが屋敷であった。
 
その家の子郎党たちの毎日の味噌汁の粕をすててたまったのが
大門(上里)の味噌粕岩である 」という話です。
 
この兼高長者夫妻の墓が豊田市畝部東町川端の阿弥陀院にあります。
兼高長者夫妻に子がなくて鳳来寺薬師如来に祈願して、
その賜子として生まれたのが浄瑠璃姫です。
 
矢作宿を舞台とした義経と姫の悲恋物語「 十二段草子-浄瑠璃姫物語 」は
語り物「 浄瑠璃 」として室町時代から全国に広まっていました。
貴重な遺跡としての味噌粕岩と、
その伝説としての物語を後後まで語り伝えていきたいものです。
 
(寄稿:岡崎市岩津町 兵藤進一氏・平成15年1月1日 通巻・第93号 より) 
 
※ 続・岩津風土記Vol.93~95 ↓
 
ウチにも金を排出するい犬は現れないだろうか?
ダメだわ、散歩させる人がいないwww
岡崎にも義経伝説は存在するんだね
知らなかったw