一昨日、お金を振り込みに郵便局へ行きました。
郵便局の窓口にも、飛まつシートが付いてました。
あっ!エールのポスター!
了解を頂き、画像に残しました。
手筒花火のシーンはあるのかなぁ〜。
最近は砂金掘りにも行けてないので、
時間的な都合などから、未公開だった画像を・・・。
神岡鉱山の資料館があるという事で寄り道しました。
道を進むと、高台のお城が目に入りました。
んっ?名前が違うけど、ここか!
高原郷土館は神岡城・旧松葉家・鉱山資料館の3施設から構成されていました。
3施設を巡ると、
中世から現代に至るまでの高原郷の歴史の流れを、
感じる事が出来るという謳い文句らしいです。
なんと、永禄7年(1564年)に武田信玄氏の命令で、
江馬時盛氏(えま・ときもり 1504 ~ 1578)が築城した高原諏訪城の支城でした。
ここで、武田信玄氏と繋がるとは思いもしなかったねぇ~。
その後、金森長近氏(かなもり ながちか)の侵攻により、
出城として使われた城でした。
歴史上の名称は「東町城(ひがしまちじょう)」で「神岡城」は通称です。
現在の神岡城は三井金属鉱業(株)が神岡鉱業所の創業100年を記念して、
そういえば、丸岡城はまだ行った事がありません。
甲冑を見ると、戦国色になります。
武田菱(たけだびし)の甲冑もありました。
お目当ての神岡鉱山資料館へ~。
鉱山の歴史は勿論、
昭和40年代の採鉱・選錬・精錬・製品に至るまでの作業工程を、
模型と共にパネル解説しています。
石には興味薄なのでパスして、本題の砂金関連へ・・・。
石臼とユリ鉢がありました。
正面からだとただの丸い木にしか見えませんねぇ~。
無造作に石臼が床に転がってて、興味がなければ目に入らない~(笑)
小さ目の台形型上臼と下臼。
小さ目の台形型上臼は新潟で見たものと類似している様な・・・。
投入口と回転軸が一緒なのか?
横や下からも撮影しておけば良かったと、今頃思うのでありました。
おー、これはメッカイか?
これも、画像に残さなかったらしい・・・。
機会があればまた寄ってみたい・・・。
戦国時代の茂住宗貞(金森宗貞)邸跡が近くにある様なので
足を伸ばしました。
現在は宗貞の菩提を弔う為、金竜寺が建っていました。